« No.454(Web版104号)1 | トップページ | No.454(Web版104号)3 »

No.454(Web版104号)2

SF essay(273回)

川瀬広保

 SFマガジンの横田順彌の追悼号で、伊藤典夫、鏡明、荒俣宏とアメリカ旅行をしたときの古い話を読んでいると、ハチャメチャに面白い。あれからたぶん40年もたってしまったと歴史を感じる。

 初村さんの御父上が亡くなられたという報に接した。会に長く入っていると、訃報も多くなる。まずは健康で過ごしたいものだが、健康を保つことは難しいものだ。

 平成はいつまでも続くんだろうと思っていたら、いつのまにか令和という元号になった。元号はやめて西暦にしてしまえばいいという話もあるが、やはり日本は昔から続いている元号をやめるわけにはいかない。令和フィーバーとでもいうように日本列島が沸いた。10連休もかつてないことだった。

 さて、前回も書いたが、もう一度書いて見たい。「SFが読みたい 2019年」による各出版社の今年の出版企画によると、伊藤典夫さんの本がそのうち出ると書かれている。SFスキャナーなどを含めた膨大なものになるようだ。たとえ分厚いものになってもファンとしては、出版が実現することを強く望んでいる。伊藤典夫という名前はSFマガジンで、53号から知り始めたビッグ・ネームである。海外SFを紹介していた「SFスキャナー」はよく読んだ。いつのころからか、その連載はなくなり、その名前はSFマガジンで一年に一度見られるかどうかになってしまった。この本の出版が実現したら私は真っ先に買いたい。
 他にも、SFマガジンに限らず、埋もれている過去の名作や傑作にもう一度、日の目を見させたいものだ。このようなコラムとか、場合によっては「てれぽーと」欄もいいと思う。SFマガジンという歴史のある本邦唯一のSF雑誌に載ったものは大事にしたいものだ。

 クラークを代表するイギリス作家の描くSFには、独特の雰囲気を持つ世界が描かれている。「銀河帝国の崩壊」の最初の部分、それが「幼年期の終り」へと花開くのだが、熟成したものを持っている。ハインラインの「夏への扉」の青春賛歌の明るさとは正反対だ。もちろん、「太陽系最後の日」のラストのように、クラーク自身も認めているが、彼の作品はポジティブで明るいのだ。
 日本SFはどうか。これはまた違うと思う。日本人には大きな想像力はないのか。
 SF的発想はどこからくるのだろう。日本は小国だから、大きな発想は育たないのであろうか。いや、星新一やドラえもんは万国の人に愛され、読まれ続けている。SFのテーマは宇宙、時間、遠未来、近未来、ロボット等々たくさんあるが、そのほとんどをウェルズがすでに発想している。あれから100数十年たち、たくさんのSF作家があらわれ、数々の作品を書いた。明るい未来への展望が最近はなくなってきていて、それがSFにも影響しているのではないかと思う。明るい未来を想像すれば、未来は明るくなるであろう。
 さて、もうじき6月だ。早いものでそのうち半年過ぎる。歳をとると、現実に振り回されて、想像力というものが枯渇する。仕事のことばかり考えないで、もっとSFを読もう、再読しよう、だれも考えなかったことを考えようというのが今月の結論かな。あまり、書けなかったがまた来月。
(令和元年5月19日 2019年)






|

« No.454(Web版104号)1 | トップページ | No.454(Web版104号)3 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« No.454(Web版104号)1 | トップページ | No.454(Web版104号)3 »