No.459(Web版109号)2
ご隠居の時代
佐竹玄吾
ご隠居会議の今回のテーマは
「2001年宇宙の旅」
・映画「2001年宇宙の旅」は衝撃的だった?
映画「2001年宇宙の旅」は監督スタンリー・キューブリック、原作はアーサー・C・クラークで1968年に公開された。
私はこの映画を高校2年生の時に見たと記憶しているのだが実はあまり自信がない。その理由は後で述べる。
この映画はSF愛好家ならば必ず観ていなければならない映画であり、古典中の古典に位置する映画であることは確かである。
また、世間に対してSFの認識を新たにしたという意味でも重要な映画である。
それまでSFという言葉はサイエンスフィクションのうちのフィクションに重きが置かれていてフィクションの中でも、最もあり得ない状況としての荒唐無稽さを描くのがSFだという認識があった(個人の感想です)。当時のSFの訳語は空想科学でありSF小説は空想科学小説、SF映画は空想科学映画、SFマガジンは空想科学雑誌(これはフェイクだな)とされていた。言葉のアクセントとしては「空想」がまずあった。世間の人々にはこの空想という言葉が根も葉もない荒唐無稽と結びついていたわけだ。そのようなSFに関して無知な世間の常識を覆したのがこの映画であった(個人の感想です)。
この映画は科学(サイエンス)的事実を論理的に演繹していくとこういうことになるでしょう、というビジョンを実映像に落とし込んだ作品だと言うことに尽きる。ただし「モノリス」というフィクションが物語の鍵として使われているけれども、サイエンスのリアリティが伝わってくる作品ということになる。これが私にとっての「2001年宇宙の旅」なのだが、これは後知恵で当時そう考えていたわけではない。
・「猿の惑星」のほうがおもしろい
「2001年」についてご隠居会議で金原、福田と話をしていた。福田は「2001年」は小学生の時に公開されたという。私はその発言に驚いた。そうか年齢差を考えればそういうことなのか。はじめて「2001年」を観たときの印象は全然違うはずだ。
そして「そういえば猿の惑星も同じ頃公開されたよね」と話題が変わった。
そうだった、私はその時まですっかり忘れていた。「猿の惑星」も同じ1968年の公開だった。
正直にいうと高校生の私の中では「2001年」より「猿の惑星」の評価の方が高かった。
どうしてそういう評価をしていたのか思い出してみる。
まず「猿」の特殊メークはやはり秀逸だった。「2001年」にも原人(猿人?)が出てくるのだが、ぬいぐるみっぽいその作りより「猿」のチンパンジーやゴリラの方がずっとリアリティがあった。そして何より有名なラストシーンにはインパクトがあった。
あのラストシーンは映画的表現だろうけど原作ではどう書かれているのだろうと興味を掻き立てられた。その後ピエール・プールの同名の原作となった小説を読んだ記憶がある。
一方の「2001年」についてはあまりいい印象がない。
確かに原人の時代から一気に宇宙空間へつなげる画面転換とか、宇宙船内部の描写、月世界の風景など「おお格好いい」と高校生の私が喜ぶところが満載なのだ。(これらは今となってはCGが存在しない時代によくぞあんなシーンを撮ったものだと感動するのだが)
ところが木星軌道でモノリスに遭遇したあと時空間を漂流する光が渦巻くようなカットが延々と続き、ベッドに横たわる老人の意味ありげなシーンでは退屈を覚えたのだった。
最初に「2001年」を高校2年生の時見たことに自信がないといっているのだがつまりちゃんと見たのかどうか自信がない。つまり後半の退屈さに私は耐えられなかったような気がする。ひょっとしたら寝ていたのかもしれない。
大雑把にいえばこういう理由で私の中では「猿の惑星」の評価が高かったのである。
・評価が逆転した
しかしながら高校生のころの評価は大学生になって変わっていった。
私は年齢を重ねてその分賢くなったのか、そして結果として評価が変わったのだろうか。そのあたりは今となっても懐疑的である。それは生き方の問題で映画の評価とは関係ない話なのだが。
映画を見た翌年、高校を卒業して大学に通うために大阪へ行き一人暮らしを始めた。
元を正せばそれが物の見方を変えた直接的な原因である。
私は大学に入って間もなくどういうわけか大学の「漫画同好会」に所属した。それまで漫画など描いたこともない私が何故漫画同好会の門を叩いたのか今もって自分の過去の謎だが、経緯はどうあれ私は「漫画同好会」に所属することによってそれまでの田舎の高校生とは全く違う世界に身を置くようになった。
漫画同好会のメンバーの特徴の一つはもちろん漫画好きであるのだがそれ以上に映画好きなのである。喫茶店や下宿での雑談の話題には必ず映画のことが入っていた。雑談に飽き足らず、夫々の映画評をまとめて映画評論のミニコミ紙を作ったりしていたのである。ミニコミの記事の中には過去に見た映画のトップテンのアンケート(アンケート対象は同好会員だけなので基数は30サンプル程度)とかがあってどんな映画に関心をもっているかがわかる。そうするとリストの上位に「2001年宇宙の旅」は必ず入るが「猿の惑星」は下位なのである。
「2001年」は語るに足る映画なのだ。しかし「猿の惑星」は冒険活劇とどんでん返しのしかけというお定まりのハリウッド的展開で評論に値しないというのがその理由。学生らしいものの見方ではあるが当時の大方の映画評論家もそのような評価をしていたのではないか。私もそういう価値観に染まっていった。
なぜなのか、平板なわかりやすいことよりも、含蓄のあるわかりにくいことの方に価値を置くようになったということだ。自分が理解できないのはすごいことに違いないと考えるわけである。
ありがちなことではあるのだが学生時代とはそういうものなのだ。
・「2001年宇宙の旅」をリメイク
「2001年宇宙の旅」をリメイクするなら、という設定でこの映画の今日的意味について考えてみる。
アーサー・C・クラークは本格SFの第一人者であるわけで彼の小説に描かれた未来の事物で今日実現しているものが少なくない。有名なところでは静止衛星とかインターネット社会の実現をすでに描いていた。
「2001年宇宙の旅」は1968年に32年後の2001年を想定して描かれたものなわけだがそのうちいくつかは実現しているがほとんどが実現していない。
そういうことを鍵に、まず物語を何年の出来事として設定するのかを考えてみる。
「2001年宇宙の旅」の主人公は木星探査の宇宙飛行士ボーマンであるのだが影の主役としてHAL9000という人工知能が存在している。今日の人工知能の常識からすると人工知能の技術的特異点(シンギュラリティ)が訪れるのは2045年だとされている。この予測が正しいとするなら物語の設定は2045年から数年後の世界となる。仮にそれが2050年だとすると今から30年後の世界だ。
それはつまりクラークが1968年に設定した2001年の未来世界と同じ年数の未来のことだ。面白い符号だが。
そしてクラークが考えた未来の情景は今私が考える30年後に同じように当てはめてみても全く違和感がないのではないか。それはクラークの想像力が偉大すぎて、私のそれがあまりに貧弱であるということを引き算してみても当てはまるような気がする。
ただし幾つかの点で多少の修正を加える必要がある。
民間会社による月と地球を結ぶ連絡船の運行、映画では運営会社は航空会社のパンナムだったがパンナムはもう存在しない会社だ。現在の航空会社はLCCが主体。LCCはタクシー会社が大きくなったようなものだから同じ機能を期待できないだろう。ではどのような業態の会社が月と地球の間の連絡便事業に参入しているのか。月ヘ人を運ぶだけでも結構な金がかかるわけだが、民間企業の参入には月へ人を運ぶ事業に魅力を感じかつ経済的に成り立つものでなくてはならない。多分観光目的では会社を維持できない。月や小惑星にある希少金属を採掘して地球に運ぶことを主目的にした会社だろう。基本的には中国系の鉱山会社だろうな。
HALレベルの人工知能が実現するのは2045年以降なのだが、HALという単語は専門学校や研究所の名前として定着している。HALの前身のIBMはパソコンの製造を中国のレノボに売却するなんていうのもその当時としては考えられないことだった。いずれにしても木星探査船に乗せられる人工知能はどこで作られているかといえばそれも多分中国だろう。華為(ファーウエイ)4000型(ちょっともじってFarAwayでもいいか)という名前になるかもしれない。
ただ一つ予想が実現したことは国際協力による宇宙ステーションの運営だろう。規模が小さいとはいえ。あの冷戦の時代に21世紀の未来ではアメリカとソ連が宇宙で協力しているというビジョンは輝いて見えたものだ。
30年後の宇宙ステーションの主たる運営者はアメリカやロシアではなくやはり中国であろう。したがって宇宙船内の装飾は赤と金が主体となる。
あの宇宙空間の旅する幻想的なカットはコンピュータグラフィックを駆使してすごいことになるだろう。「すごい」という一言で誤魔化そうとする私の言葉の貧困にはうんざりするけれども。
・2001年への過去の旅
1968年、高校生の私は32年後の2001年に映画のような世界やってくると素朴に考えていたことは確かだ。しかも18歳の私にとって21世紀の世界なんて死後の世界に等しいほど遠い未来に思えていた。
ところが現実にほんの20年前に日常の続きとして21世紀はやってきた。しかも翌年の2001年という年は同時多発テロが勃発して世界は地上での戦いに没入して宇宙に目をやっている暇などない時代になっていた。
日本では小泉首相の構造改革のせいで、個人の生活は効率性という世知辛い風潮にのせられて心の余裕を失っていった。
そうして「2001年宇宙の旅」で描いていた未来図の世界がやってきていることなど毫にも考えなくなっていたのである。
それから20年経って2001年を回顧している自分がいる。他人からご隠居と呼ばれる年齢になったにもかかわらず、相変わらずの阿呆であるわけだし、はっきり言えば無駄に年齢を重ねただけという辛い現実を突きつけられる。
実人生というのはモノリスのように次の梯階へ導いてくれる機械仕掛けの神のような存在は簡単には現れないものなのである。
当たり前の話だが。
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