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2019年12月

No.460(Web版110号)3

ルーナティック32号 アニメ特集について 3

秋に公開された劇場アニメ「すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」が話題になっています。
同じく秋に公開されたDCコミックス原作の映画「JOKER」(バットマンの敵役、ジョーカーがいかにして生まれたかが描かれている映画)と比較されて、「パステルカラーのJOKER」などと揶揄され、それを否定する人と、論争にもなっています。
「すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」は、北から逃げてきた人見知りで寒がりの「しろくま」、自分がペンギンなのかどうか自信が無く、昔は頭に皿が乗っていたような気がしている緑色の「ぺんぎん?」、肉部分が1%、脂肪部分が99%と非常に油っぽいため食べ残されてしまったとんかつを切った際の一番端の部分の「とんかつ」、気が弱く恥ずかしがり屋な、謙虚な性格の「ねこ」、実は恐竜の生き残りで捕まってしまうのを避けるためトカゲの振りをしている「とかげ」の5人が繰り広げるドラマです。
「たれぱんだ」や「リラックマ」などのキャラクターを有している会社が、自社のキャラクターを使った子供向け映画です。
ところが子供向け映画のはずが、話題を呼び、大人も劇場に足を運んで、この秋の邦画興行収益でトップにランキングされています。
5人はその生い立ちから世の中のメインストリートは苦手なマイノリティーとして常に端っこ、隅っこに居たがるキャラクターです。すみっコで肩寄せ合って生きているのですが、それが心地良いと思っています。
そんな彼らがいつもの喫茶店にやってきて店の隅っこのソファーに座るのですが、そこで不思議なことが起こります。

ただの可愛い絵柄の子ども向けアニメだと思って観にきた親子連れの観客が、号泣して劇場から出てきます。
一体何があったのでしょう?
なぜ残酷描写もあり、悲惨な人間の運命を描く「JOKER」に例えて「パステルカラーのJOKER」などと不穏当な呼ばれかたをされたのでしょう?「JOKER」では狂気が主人公を追い詰めて行きますが、この映画では何が登場人物を追い詰めていくのでしょう?
「パステルカラーのJOKER」という表現を否定する人は、もっとシンプルでほのぼのとした映画であり、チョット悲しい部分もあるだけ、などと理由を言っていますが、なぜそう思うのでしょうか?
その映画で描かれる「マイノリティーの悲劇」とは何でしょう?そして「マイノリティー」とは?
子ども向け映画で観る人によって反応がこれだけ分かれる映画も珍しいかもしれません。
来年も、SF関連の話題作が目白押しで、楽しみです。

特集以外の創作、評論、翻訳等の原稿も広く募集しております。
長い原稿を予定されている方は、事前に内容やおおよその分量を、PM編集部に連絡していただけるとありがたいです。 締め切りは来年の春、3月末くらいを考えています。来年の夏あたりの発行を目標にしています。 原稿サイズはB5です。原稿の宛先はPM編集部かメールで
cbf06066.cap.y@nifty.com まで。(ルーナティック32号編集部)

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No.460(Web版110号)2

 人気漫画家の死に伴う、チャンピオンを支えた人たち

 中村達彦

 前号後記にも書いてあったが、漫画家の吾妻ひでおが亡くなった。享年69歳。
 北海道出身。板井れんたろうのアシスタントを経て、秋田書店の雑誌まんが王でデビューし、以後、少年チャンピオンを中心に70年代に秋田書店の雑誌で活動を続け、代表作に「二人と五人」「チョッキン」などがある。
 石ノ森章太郎から影響を受け、その作品のTV化ではデザインなどを提供している。
 私は、少年チャンピオンで、「チョッキン」を読んだことがある。大富豪の息子が更にお金を手にいれるため、日常生活でいかにお金を使わないか、せこい生活を描いた作品である。
 その後、吾妻は秋田書店以外の出版社に活動の幅を広げ、78年には不条理をテーマにした「不条理日記」を発表し、同作がSF大会で星雲賞を受賞。
 以後、SF誌から作品を依頼されるようになり、「パラレル狂室」などの作品もある。新井素子の「絶句」などSF作品のイラストも手がけていく。SF作家やイラストレーターの友人も多く得ている。
 そのタッチは独創的で、美少女、ロリコンの作品でも注目され、固定のファンがつき、何冊かの雑誌で特集が組まれた。
 彼の作品、「おちゃめ神物語コロコロポロン」「ななこSOS」がアニメ化されている。また彼のキャラクターをゲストで使った他作家の作品もある。
 しかし80年代末に入ってからは活動が低迷期に入り、作品の締め切りに、アルコール中毒が加わり、逃亡してしまう。
 1989年から92年にかけ、二度も漫画からも家族からも逃亡し、ホームレス生活を過ごす。結局、見つかって、連れ戻されてしまう。その後、重度のアルコール依存症になり、三鷹の施設でリハビリを受ける。
 私も90年代半ばに、友人から吾妻秀夫の近況を聞かされ、「そう言えば、最近、作品見ないな」と思っていたが……。
 2005年にイースト・プレスから「失踪日記」を発表した。
 自身のホームレス生活が描かれているが、街の中をうろつき、雪中の山中で、ビニールシートを使った即席の毛布で寝た。シケモクを集めたり、酒瓶の底に残った残り酒を集めて飲んだり、コンビニの裏口から賞味期限の切れた料理の入った袋を集めるなどをおくった。
 一度目は警察に職務質問された後、漫画に詳しい警官に素性を知られ、二度目は街をふらついていた時に手配師に声をかけられ、ガス管工の仕事に就く。仕事をしながら描いた漫画を描き、社内報に載るなどしたが、手配師にもらった自転車が盗難車であり、家族に連絡される。その後もガス管工の仕事は続けるが、人間関係により、結局、辞めてしまう。
 しかし劇中に、悲壮感は漂ってこない。描かれているホームレス生活はどこか楽しんでいるように感じられる。
 「失踪日記」が話題になり、2013年にはアルコール依存症を治すため、入院した施設とそこで出会った人々との顛末を描いた「失踪日記2アル中病棟」を発表した。
 また2009年には、若い頃、板井れんたろうにアシスタントで入ってから、秋田書店でデビューするまでを描いた自伝的作品「地を這う魚ひでおの青春日記」を角川書店から発表している。吾妻以外にも漫画家を志した者が何人か登場し、その顛末も描かれているが、吾妻以外の登場人物は、動物擬人化され、名前も伏せられている。
 「失踪日記」以外に、イラスト付きで日記をHPで書いたり、時々、漫画を雑誌に載せたりして、最近も活動を続けていたのだが……。
 吾妻をデビューさせたのは、
秋田書店の壁村耐三である。
 壁村は、少年チャンピオンの編集長に就き、200万部を超える70年代のチャンピオン全盛時代を築いたことで知られる。常識を嫌い、強面の性格で知られ、アルコールを手放さないなど独自の編集生活を貫いた。吾妻は「失踪日記」他の著作で、その人柄について、触れている。
 壁村の元には、いろいろな編集者や漫画家が集まっていたが、その中から、優れたヒット作を排出させた。
 他漫画家の「ブラックジャック創作秘話」や「激マン!」「愛ー…しりそめし頃に…満賀道雄の青春」といった作品にも、壁村は登場している。
 70年代に、チャンピオンで「エコエコアザラク」で、ヒットを飛ばした古賀新一も、怪奇漫画家の証言集「怪奇まんが道」で語っているが、壁村に強引に連載をさせられたそうだ。
 吾妻ひでおがチャンピオンに描いていた時期に、萩尾望都(この原稿を書いている時、文化功労者として表彰されるとの噂が)に光瀬龍原作の「百億の昼と千億の夜」を漫画化させている。その後も、光瀬龍の原作で、SFではないが「ロン先生の虫眼鏡」を漫画化している。作画は後にグルメ漫画の大ヒット作「ザ・シェフ」を手がける加藤唯史。
 70年代当時、私は小学生〜中学生であったが、最も熱心に読んでいる漫画雑誌は、チャンピオンであった。SF、スポ根、医療、ギャグ、怪奇、友情など様々なテーマの作品があった。
 98年に壁村も、光瀬龍も亡くなり、板井れんたろうも、古賀新一も、加藤唯史も吾妻の前にこの世の人では無くなった。
 チャンピオンは、部数が落ちたものの、現在も続いている。
 最近では、チャンピオンREDが、昔の漫画を次々にリメイクさせて注目されている。その中に松本零士作品があるが、この原稿を書いていると、松本零士が病気で倒れたとの報が。

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No.460(Web版110号)1

 SF essay(279回)

 川瀬広保

 もうこれが載るころは、師走の声を聞く。一年など早いものだ。過ぎれば、つくづくそれを感じる
 吾妻ひでおが亡くなった。69歳だったという。前回書いた世界が終わる時にも、「らーめん(?)食べに行こう」というのは吾妻ひでおの漫画からの引用だ。
 昔、SF大会へ行ったとき、人だかりができていたので、回りの人に聞いたら、「吾妻ひでおがいるんだよ」と教えてくれた。すごい人気でサインをもらえるどころではなかった。
 その後、「失踪日記」はよく読んだ。絵がうまかった。朝日新聞の訃報記事は結構扱いが大きかった。ご冥福をお祈りいたします。

 訃報が続く。眉村卓が亡くなった。85歳だったという。誤嚥性肺炎だという。
 眉村卓もよく読んだものだ。その文章には読ませる力があった。今朝の朝日新聞の天声人語には吾妻ひでおについて書かれていたし、眉村卓の訃報記事も大きく載っていた。
ジュヴィナイルSFで多くの傑作を残された。ご冥福をお祈りいたします。
 筒井康隆の「老人の美学」を買った。通読した。老人になったら、身ぎれいにしないといけないとか、ちょい悪老人になったらいいのではなどと書かれている。筒井康隆、85歳である。
 もう50年も昔、SF大会で氏のサインをもらったことが思い出される。氏はダンディだった。日本SF界の大御所である。
 「銀齢の果て」という小説は、「爆発的に増加した老人人口を調節し、ひとりが平均7人の老人を養わねばならぬという若者の負担を軽減し、破綻寸前の国民年金制度を維持し、同時に少子化を相対的に解消させようというものだ」。(引用)
 この辺のくだりを読むと、筒井康隆が書いたのは決して小説ではなくて、ありうる近未来だと思える。「老人相互処刑制度」やかつて映画化された70歳になったら、動物性たんぱく質のために、死を選び、自らベートーベンの「田園」を聞きながら、死んでいき(国に殺され)、その肉が若者の栄養になるという映画の世界も決してSFだと思ってはいられない。
 また、歳をとったら身ぎれいにしなさいというのは、役者もやっていた筒井康隆だからこその言葉である。
 その他、ちょい悪老人の話など、あれこれ私自身も考えさせられることの多い高齢者になった人のためのよき指南書である。
 さて、半月もすれば、もうじき12月、師走である。一年の過ぎるのは月並みながら何と早いことか。災害に明け暮れた一年だったような気がする。そんな中でもSFは読み続けていきたいものだ。
 また、家にひきこもっているとよくないということで、いくつかのボランティアを初めて何年にもなるが、こちらも細々だが続けていきたい。   (2019・11・16)




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