« No.459(Web版109号)2 | トップページ | No.460(Web版110号)2 »

No.460(Web版110号)1

 SF essay(279回)

 川瀬広保

 もうこれが載るころは、師走の声を聞く。一年など早いものだ。過ぎれば、つくづくそれを感じる
 吾妻ひでおが亡くなった。69歳だったという。前回書いた世界が終わる時にも、「らーめん(?)食べに行こう」というのは吾妻ひでおの漫画からの引用だ。
 昔、SF大会へ行ったとき、人だかりができていたので、回りの人に聞いたら、「吾妻ひでおがいるんだよ」と教えてくれた。すごい人気でサインをもらえるどころではなかった。
 その後、「失踪日記」はよく読んだ。絵がうまかった。朝日新聞の訃報記事は結構扱いが大きかった。ご冥福をお祈りいたします。

 訃報が続く。眉村卓が亡くなった。85歳だったという。誤嚥性肺炎だという。
 眉村卓もよく読んだものだ。その文章には読ませる力があった。今朝の朝日新聞の天声人語には吾妻ひでおについて書かれていたし、眉村卓の訃報記事も大きく載っていた。
ジュヴィナイルSFで多くの傑作を残された。ご冥福をお祈りいたします。
 筒井康隆の「老人の美学」を買った。通読した。老人になったら、身ぎれいにしないといけないとか、ちょい悪老人になったらいいのではなどと書かれている。筒井康隆、85歳である。
 もう50年も昔、SF大会で氏のサインをもらったことが思い出される。氏はダンディだった。日本SF界の大御所である。
 「銀齢の果て」という小説は、「爆発的に増加した老人人口を調節し、ひとりが平均7人の老人を養わねばならぬという若者の負担を軽減し、破綻寸前の国民年金制度を維持し、同時に少子化を相対的に解消させようというものだ」。(引用)
 この辺のくだりを読むと、筒井康隆が書いたのは決して小説ではなくて、ありうる近未来だと思える。「老人相互処刑制度」やかつて映画化された70歳になったら、動物性たんぱく質のために、死を選び、自らベートーベンの「田園」を聞きながら、死んでいき(国に殺され)、その肉が若者の栄養になるという映画の世界も決してSFだと思ってはいられない。
 また、歳をとったら身ぎれいにしなさいというのは、役者もやっていた筒井康隆だからこその言葉である。
 その他、ちょい悪老人の話など、あれこれ私自身も考えさせられることの多い高齢者になった人のためのよき指南書である。
 さて、半月もすれば、もうじき12月、師走である。一年の過ぎるのは月並みながら何と早いことか。災害に明け暮れた一年だったような気がする。そんな中でもSFは読み続けていきたいものだ。
 また、家にひきこもっているとよくないということで、いくつかのボランティアを初めて何年にもなるが、こちらも細々だが続けていきたい。   (2019・11・16)




|

« No.459(Web版109号)2 | トップページ | No.460(Web版110号)2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« No.459(Web版109号)2 | トップページ | No.460(Web版110号)2 »