No.464(Web版114号)2
SF essay(283回)
川瀬広保
とうとう一年間の臨時講師が終わった。コロナウイルスの影響で、離任式も放送で行うという異常事態だった。こちらが話したことが生徒に通じたかどうかわからない。
全校体制として、生徒はさっさと帰宅させた。翌日も、最終日も生徒がいないのに出勤した。年休(有給)がもうないからだ。そして、30日16時30分に職員室にいた教員にあいさつして帰った。
コロナウイルスは社会のあらゆるところに影響している。浜松城のボランティア活動もしばらく中止になった。年一度のボランティアの総会も中止。特に高齢者は自宅にいなさいということだが、テレビばかり見ているだけだと、身体が不活発になる。
全国民にマスク2枚を配布するのだそうだ。あれこれ言う人がいるけれど、マスク不足の今、さっさと配ればいいと思う。
このコロナウイルスで思い出したのが、小松左京の「復活の日」だ。この作品では未知のウイルスがばらまかれて、人類は滅びて、生き残ったわずかの人たちが南極に移動して、やり直すという話だ。こんなことがSFでなく、現実として起こらないとも限らない。ノストラダムスの予言はあたらなかったということになっているが、時期がちょっとずれて2020年ぐらいに本当に人類滅亡が起こるのではないかと心配する。明日、緊急事態宣言が出る。かつてないことだ。(4月6日)7都道府県に緊急事態宣言が出された。
SFが現実になった。かつてはSFだったことが現実になってきているように思う。まさか今年の2月ごろには、まだこのコロナウイルスで緊急事態宣言が日本で出るとはだれも思わなかった。それが今は、この話題で日本中が大変だ。あれこれ言っているときではない。
日本、いや世界が汚染されている。ひどくなる一方だ。台風や豪雨も怖いが、目に見えないウィルスも怖い。皆さんはどうですか。
さて、SFにできることはあるだろうか。SFはかつて数々のディザスター・ストーリーを描いてきた。しかし、「・・・そして、人類は滅亡した。ジ・エンド」というのはなかったと思う。明るい未来を期待していきたい。クラークの「太陽系最後の日」を思い出す。人類は愚かではないと信じたい。
(2020・4・9)
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