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2020年9月

No.468(Web版118号)1

 マンガ家の聖地トキワ荘について

 中村達彦

 東京の豊島区、前にトキワ荘があった場所の近くに、マンガミュージアムが建てられたと7月に報じられた。
 新型コロナウイルスの影響で、入館利用には制約が課せられているが、昔、トキワ荘にいたマンガ家諸先生の協力を受け、当時のゆかりの品々が置かれる、当時のマンガ家たちの仕事場が再現されているなどいろいろ楽しめる展示がされていると言う。
 トキワ荘ゆかりの当時から現在も運営しているお店も幾つかあり、マンガミュージアムは町おこしの面もある。
 また豊島区の中央図書館は、池袋駅から少し離れたビルにあるが、そこでもトキワ荘出身の漫画家たちをPRしており、前からゆかりのマンガ家たちの作品が読めるコーナーが設けられ、ちょっとした穴場だ。
 トキワ荘は承知の通りアパートで、53年に手塚治虫が仕事場で借りたのを皮切りに、寺田ヒロオ、藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎らが居を構え、更に多くの漫画家や編集者が出入りするようになった。
 トキワ荘が無かったら、その後のマンガやアニメの流れは後退していただろう。
 若いマンガ家たちは、一堂に会し、自分と違う才能に刺激を受けたり、親交を深めたりした。トキワ荘にいなかったら、自分はマンガ家になっていなかったかもしれない、と言う人もいる(トキワ荘の人の集まりや、幾つもの仕事をを受け、徹夜して体を壊してもやり遂げる姿勢を苦々しく見る声もあるが)。
 トキワ荘の建物は、82年に取り壊されたが、マンガ家たちの著作などでその存在は世に知られるようになった。
 アニメ化されたり、書籍になっているが、最もトキワ荘を世に知らしめたのは、藤子不二雄Ⓐによる「まんが道」であろう。
「まんが道」は何度も連載され、藤子不二雄をモデルにした自伝的作品だが、77年から82年に少年キングで連載された2作目は、86年秋にNHK銀河テレビ小説でドラマ化されている。
 富山県高岡を舞台に、高校卒業から上京までを描いているが、好評を博し、翌87年夏には、上京してトキワ荘に入ってからの奮闘、マンガ家たちとの出会い、挫折、再起を描いた続編が作られた。
 藤子不二雄をモデルにした満賀道雄と才野茂が主人公であるが、真賀は竹本孝之が、才野は長江健次が、手塚治虫は江森徹が、石ノ森章太郎は氏の息子の小野寺丈が演じた。他にトキワ荘に住み、真賀と仲良くなる娘の役で、ブレイク前の森高千里が出演しているなど、びっくりするキャスティングがある。
 NHKは民放と比べ、マンガ家という職業に好意的だ。「まんが道」の前、74年に永島慎二の「黄色い涙」が銀河テレビ小説で、79年には朝の連続テレビ小説で、長谷川町子をモデルにヒットした「マー姉ちゃん」など、何度もドラマ化している。
 その後も、赤塚不二夫は2度もドラマになっているし、2017年の朝の連続テレビ小説の「ひよっこ」は、60年代の東京が舞台だが、主人公と同じアパートで暮らし、藤子不二雄に憧れを持つ富山出身のマンガ家コンビが登場し、ドラマを盛り上げた。
 トキワ荘は、石ノ森章太郎らも度々著作で取り上げたこともあり(マンガ家たちのことや最大の理解者であった姉について語られている)、多くの人に知られるようになった。
 96年には、寺田ヒロオの視点からトキワ荘を観た「トキワ荘の青春」という映画が作られた。寺田の役を本木雅弘が、他にも当時はあまり知られなかったが、現在はいろいろな作品に出ている阿部サダヲ、古田新太、生瀬勝久らがマンガ家や編集者の役で出演している。
 「まんが道」も、前とは一部設定が違ったが、95年から2013年まで続編が描き続けられ、一応完結した。
 その続編では、さいとうたかをらがゲストで登場しているし、最近ではちばてつやが怪我をして、マンガが描けなくなった時、トキワ荘のマンガ家たちが助けてくれたことを、自分の作品で語っていた。
 手塚をはじめ成功した者以外の、ブレイクしなかったトキワ荘のマンガ家も取り上げられている。 
 寺田ヒロオ、藤子不二雄らでグループ新漫画党が結成され、後にスポーツマンガでヒットを飛ばす寺田は、マンガ家たちに金を貸したり、相談役になり皆の兄貴的存在であった。
 新漫画党の永田竹丸は、SFやアクションのない、優しいマンガを得意とした。後に、雑誌TVマガジンで、73年から75年に当時アニメで放映された「コロボックルの大冒険」「ジムボタン」「クムクム」のマンガを連載しており、読んだ経験がある。
 他にトキワ荘住人になり、マンガを描いていた鈴木伸一は、横山隆一のおとぎプロへ入社して、アニメを学び、トキワ荘の友人たちとアニメ会社スタジオ・ゼロを立ち上げたり、多くのアニメ制作に携わった。
 新漫画党に入った坂本三郎と言うマンガ家がいた。真面目で努力家であった人で、「まんが道」にも登場している。マンガを描いている時に編集者と衝突し、筆を折ってしまい、新漫画党も辞めてしまうが、その後もトキワ荘の人たちとの交際を細々と続けながら、アニメーターとして転身したそうだ。
 日本サンライズに所属し、70年代から80年代の人気のロボットアニメで作画監督としてその名が見られる。故人となったが、アニメやマンガに関わった貴重な証言を残さなかったのは惜しまれる。
 惜しいと言えば、トキワ荘とは直接の繋がりは無いが、ジョージ秋山、桑田次郎といったベテランで長くマンガ界を引っ張って来た大御所が最近、次々になくなっている。 
 しかしトキワ荘にマンガ家が集まり、そこから漫画やアニメの作品やセンスが育っていったのは紛れもない事実であり、これからも語り続けられるであろう。

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