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No.474(Web版124号)4

 冬と修羅(その二)

 中井 良景

 友が死んだ。大学時代に所属していた漫画同好会の二年先輩、Mさんだ。
 大昔の話だが、私は大学入学後、ひと月くらいして漫画同好会に入会した。それまでにもかなりのジャンルのまんがを読み、自分でも描いていたから、まんがに一家言持っていた。高校までまんがについて語り合える友は僅かで、大学の同好会に入れば話が出来ると大きな期待を抱いていた。
 漫画同好会では、青焼コピー版ではあるが機関誌を定期的に発行し、さらに会内サークルが数種類のミニコミ誌まで発行していた。これで私が描く作品の発表舞台は確保出来たと嬉しかった。ただ、まんがについてのお喋りは完全に期待を裏切られた。先輩たちはまんがの話など一切しなかった。もっと言えば、当時かなりの発行部数を誇っていた少年マガジンやマーガレット、セブンティーン、ビッグコミックなどは全くと言っていいほど読んでいなかった。唯一読んでいたのは“まんがエリートのための”と題された虫プロ商事発行の「COM」であり、青林堂発行の「ガロ」であった。この二誌を逆に私は読んでいなかった。会話が成り立たなかった。
 漫画同好会では、喫茶店で珈琲を飲みながら会話するのが常だった。先輩に連れられて、毎日のように喫茶店に通った。それまで真面目な生活を送ってきた(それが普通だと思っていた)私には、先輩たちの軟派な雰囲気が心地良く、彼らの後をついて回るようになった。
 会には学年による上下関係は一切なかった。先輩には“〇〇さん”とさん付けするが、それだけだった。彼らの話題は映画であり、麻雀であり、パチンコであり、珈琲であり、女の子だった。それと小難しい古今東西の文学や評論も彼らのテリトリーにあった。彼らの作品はそれをベースに描かれていた。先輩たちの話は、高尚で、少しだけ難しく、聞いているだけで楽しかった。そんなところに大学生になった幸せを見出した。
 漫画同好会は、会員が描いた作品を持ち寄って機関誌を発行するのが主な活動だった。それぞれの作品はとても個性豊かだった。ひとりとして似たような作品を描く会員はいなかった。そんな中で、Mさんの描くまんがは、私が今まで読んだことのないジャンルに属するものだった。可愛い絵とその詩的な内容で、会内外に女性ファンも大勢いた。
 漫画同好会には学外のたまり場が何か所かあった。いずれも先輩の誰かの下宿だった。その中のひとつが大学から歩いて一◯分くらいの所にあって、仲間の一番のたまり場になっていた。その部屋の主は外出していることが多く、皆でお邪魔して、勝手に珈琲を飲み、ギターを弾き、歌を歌って、夜遅くまで話をした。興が乗ると話は深夜にまでおよび、帰ることなど忘れてみんなで雑魚寝した。繰り返すが、まんがの話は全くしなかった。それが私にはかっこよく見えた。
 会員の多くは下宿生だったが、Mさんは自宅から通っていた。そして大学から近いそのたまり場にかなり頻繁に出入りしていた。狭く、汚くもあったが、そこは会員たちのサロンだった。トキワ荘に見立てた仲間もいた。私もしょっちゅう出入りした。幸か不幸か、Mさんは一年留年した。それで交流が途切れることはなかった。卒業して職に就いてからもサロンにやってきて、我々後輩と遊んでくれた。私は四年に亘って彼と話をし、彼から大きな影響を受けた。今だから言えるが、彼の作品に一種の憧れを抱いていた。まんがの作風は全く異なっていたが、だからこそ憧れていたのかも知れない。私は卒業後、彼の全集を企画し、三巻にまとめて発行した。本当は四巻目も考えていたのだが、原稿が出来上がらず見送った。
 そのMさんが亡くなった。病気だったようだ。年賀状のやり取りをしていて今年も受け取ったが、長いこと電話はしていなかった。今はそれが悔やまれる。

 二◯二一年二月

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