No.475(Web版125号)3
写真家の友
中井 良景
友人から写真展の案内が送られてきた。大学四年間をひとつ屋根の下(同じ下宿)で共に暮らした親友だ。
大学時代、彼はバスケットボール部と写真部を掛け持ちしていた。時おり姿が見えなくなったと思うと、カメラを抱えてあちこち飛び回っていた。撮影旅行から帰ってくると、焼いた写真を真っ先に見せてくれた。そんな時、彼の部屋は暗室となって黒い幕が引かれていた。冗談で黒幕を開けようとして真剣に怒られた。真面目で義理堅い男だった。写真としての良し悪しははっきり言って良く分からなかったが、まんがを描いていた私の目から見て、被写体の選択センス、構図、ストーリー性等いずれも優れていた。
卒業後、彼は故郷の新潟へ帰っていった。しばらくサラリーマンをして、その後結婚し、嫁さんの家に婿入りしてその家業を継いだ。家業は瓦屋さんだ。
写真に対する彼の情熱はその後も変わらなかった。便りによれば、定期的に遠くまで撮影旅行に出掛けていたようだ。何年かして、撮り溜めた写真をまとめた立派な写真集が送られてきた。こういう活動が大好きな私は心の底から感動した。彼はその後も写真集を二冊発行した。
写真集だけではない。彼はギャラリーを借りて写真展を開催した。個展だ。何回開いたのかは知らないが、私は二回見に行った。東京と新潟のギャラリーにだ。いずれも日帰りで、彼とは食事を挟んで短い時間しか話せなかったが、額の面積が広がったくらいで他は変わっていなかった。
彼の年賀状はいつも彼が撮った写真で構成されている。いつだったか鬼瓦が写っていた。年賀状でなく、暑中見舞いだったかも知れない。彼が焼いた瓦だ。我王が焼いた瓦を思い出した。
ある時、何気ない会話の中で、彼が、私のもうひとりの写真家の友人IYさんと知り合いであることが分かった。IYさんは “総理大臣から犬まで(撮る)” と言われたプロの写真家で、真夏に大阪から東京まで徒歩で旅したとんでもない人だ。道中記はマンガ誌に連載され、後に単行本化もされた。自分の友同士が知り合いだと言うだけで何となく嬉しくなった。写真家の世界も案外狭いのかも知れない。訊ねてはいないがひょっとしたら、私のもうひとりの元写真家の友人IEさんとも知り合いかも知れない。IEさんは写真家をしながら大学で写真技術を教え、その後辞めて作家になり、ベストセラーを連発した。どこかですれ違っている可能性は十分ある。
さて、今回の写真展にはどうやら行けそうにない。彼の手紙にも “来なくていいよ” と書かれていた。行きたいが仕方ない。次回開催はいつになるのだろう。数年後か十数年後か。行けるだろうか。
二◯二一年二月
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