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No.483(Web版133号)4

 白土三平さんの事

 加藤弘一

 読売新聞に10月8日に「カムイ伝」の白土三平さんが亡くなられたとの記事が載った。
 「カムイ伝第二部」終了のあとは何をして過ごしていらしたのか。
 白土さんは、最初は油絵家を目指していたようである。しかし、それだけでは食えず紙芝居の絵を描いていたが、これが衰退すると貸本漫画に移り、後に雑誌の仕事に移った。
 と、書いていくと「ゲゲゲの女房」みたいになってしまうが、当時の漫画家への道の一つの流れだったのかも知れない。
 しかし、雑誌は貸本と異なり内容が何でもOKと言う訳でもなく、作品を描くと「残酷だ」とか「俺は蛇が嫌いだ」とかでしばしばボツをくらった。
 そこで、好きな作品(カムイ伝)は原稿料無しで『ガロ』でやり、「サスケ」で稼ぐと言う形をとった。これが、後に体を壊す元にもなる。
 白土さんの作品はしばしばマルクス主義の影響があると言われているが、意識したことはないそうだ。「カムイ伝」の正助は生産者「土」であり、カムイは「風」で人と自然とを繋ぐものである。「風」はその場に留まらず、種を運び雨を降らせ「土」の運命を変えて行く。そういう大きな流れを漫画で掘り下げていきたかったようである。
 自分は子供の頃、「サスケ」や「ワタリ」が好きだった。テレビも見ていた。影分身、おぼろ影分身、微塵隠れ、と忍者ごっこをしたものである。しかし、サスケの最期は嫌だった。愛する家族を失い荒野をさ迷う姿。子供漫画には残酷過ぎた。
 「カムイ伝第二部」では一部での悲惨な運命が変わっていくのにサスケはさ迷うままである。あれからサスケはどう生きたのか。そのまま消えてしまったのか。或いは義賊にでもなって活躍したのか。それを語ってくれる人はもういない。
 弟の岡本鉄二さんも12日に亡くなった。
 そして誰もいなくなった。
             参考 ビッグ作家究極の短編集 白土三平

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