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No.500(Web版150号)4

 なんと500号!

 福田淳一

 「ペーパームーン」が500号に到達した。この「ペーパームーン」の歴史はこれまでに周年記念号や「ルナティック」等で書かれているが、私が編集を初めてから40年も経つのだから、誕生の経緯を簡単に記しておきたい。
 「ペーパームーン」は、1969年(昭和44年)8月4日に「東海SFの会」の連絡誌として誕生した。B4版1枚で、発行編集は会の創始者の一人白柳孝さんである。このスタイルで3号(1970年4月7日)まで発行されたが、会の休止状態に伴い休刊する。
 1981年(昭和56年)4月1日、時のSFブームに乗り新たなメンバーを迎え会が活動を再開した時「純粋桃色新報」と改題し、12号から発行する事になった。発行編集は同じく白柳孝さんだ。これが21号(1982年1月1日)までは月刊で順調に発行されたが、突然1年間発行が途絶えてしまう事態になった。この状態を打破すべく私の友人古橋伊豆夫氏が「ペーパームーン」と再び改題し、1983年(昭和58年)1月1日23号から手書きで発行を再開した。彼は、手書きから当時まだ高価なワープロを購入するなど精力的に発行を続けたのだが、40号(1984年5月1日)まで発行した所で入院する事になった。その入院中、「ペーパームーン」の編集を代行することになったのが私福田である。だが1年を待たずして、古橋氏は27歳の若さで帰らぬ人となってしまった。編集はそのまま私が引継ぎ、41号から現在に至るまで「ペーパームーン」を発行し続け、この度500号を迎えたという訳だ。
 この「ペーパームーン」の編集は、送られてきた原稿を毎月毎月いかにまとめるかという格闘の日々で、より良い物に面白い物にしようと必死だった。多いときは32ページになり、毎月一冊の同人誌を発行しているような作業量だった。しかも、こうした編集作業は「ペーパームーン」だけではなく、石ノ森章太郎ファンクラブの会誌「風のたより」や当会の「ルナティック」などの編集も加わっていく。色々と大変な事も多かった。色々な苦労もあった。しかし、これらの本や冊子が出来上がる度に喜びを感じた。そしてその根底には楽しんで作るという、同人活動にはなくてはならないポリシーがあった。そのベースを持ち続けているからこそ未だにこの「ペーパームーン」の編集が続けられているのだ。今後もこの楽しんで作るという気持ちを持ち続けられる間はこの編集は続いていくものと思っている。だが、この「ペーパームーン」は、私などより、多くの執筆者の皆さんの力添えがあったからこそ続けられているのだ。次の600号に向かって、皆さん、今後もご支援よろしくお願いいたします。

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