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No.500(Web版150号)3

 500号!
 う〜〜〜ん めでたい。
 初村 良明

※左ページ(印刷版PAPERMOON参照)の原稿は初村さんから「400号」発行時にいただいたものですが、400を500に置き換えてみました。皆さんも改めて「ペーパームーン」の歴史の重みに想いを馳せてください。

 


 500号ってすごいよね。

 初村 良明

 ペーパームーン500号、おめでとうございます。
 50年ですか。これだけの長きに亘り続けてこれたのは、創刊してくれた白柳さんや杉山さんの力はもちろんのこと、ここに至るまで原稿を寄せてくださった会員や、非会員でありながらペーパームーンに協力してくれた皆さんのおかげです。東海SFの会の会員として改めてお礼申し上げます。
 今でこそペーパームーンはワープロ打ちの月刊情報誌として発行されていますが、創刊当時は他のファンジン同様、手書きで不定期刊でした。一時は会の活動も滞って、会員同士の交流も絶えていました。それを解消する手助けをしてくれたのが、「浜松まんが文化研究会」の例会でした。同研究会の例会に白柳さんや木村さんや矢野くんが顔を出して、後の「はまなこん」に繋がる「SFクリスマスin浜松」の開催となるのですが、残念ながら「浜松まんが文化研究会」は暫くして自然消滅してしまいました。
 ペーパームーンを振り返ると、創刊当時まだ高価だったワープロを、自費購入してまで編集長を買って出た古橋さんの力に負うところが大です。無論それだけではありません。松井さんと新間さんの誌上バトル、PM走査線、多くの素敵なイラストの人気が、一時の東海SFの会の活動の活発さと相まって、ペーパームーンの充実度を引き上げました。でも、何よりも、原稿が多かろうが少なかろうが、来る原稿を拒まず、差別せず、編集に専念して、今日まで継続した福田さんの力を忘れることはできません。今だから言えますが、私は何度も編集長を若い会員に譲るよう福田さんに申し入れました。けれども、福田さんはそうはしませんでした。編集長が交代していたら、ここまで来られたかどうか分かりません。
 本来ならば、ペーパームーンの主要な執筆者を個々に挙げて、それぞれにお礼を言いたいのですが、遅筆でコメント下手の私には出来そうにありません。ただ、この長きに亘るペーパームーンの歴史を作ってくれた関係者に、個人的にここで改めてお礼申し上げます。
 白柳さん、あなたの行動力と多彩で広範な交友関係に浜松ファンダムはたいへん助けられました。
 古橋さん、あなたのPM編集への熱意とオークションの盛り上げ方は最高でした。
 新間さん、あなたの音楽、特にモーツァルトへの造詣の深さと、多岐に亘る知識、表現力に脱帽です。
 亀沢さん、イベントでの電気機器持込ではお世話になりました。もっと小説が読みたかったと思っています。
 今、SFは、私たちがファン活動を始めた頃とは少し違うものになっていると思います。でも、当時も好みや考え方、捉え方も様々で、考えてみればみんな違うのが当たり前ですよね。私自身例会等でSFの話をした覚えはあまりありません。これからも若い新しい血を東海SFの会に注ぎ込んで、私たちはペーパームーンを出来るところまで続けていきます。600号は8年後で、700号は16年後ですか。少なくとも、福田さんが元気なうちは大丈夫でしょう。800号、900号を目指して、みんなで原稿を書き続けましょう。それまで大地震や富士山噴火が起きませんように。

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